ひとこと

夢生学習塾の坐禅会

 昨年に続き今年も坐禅会のを企画を実行して頂き、有り難く存じます。坐禅の実行普及は、お釈迦様の最も尊く望まれた行いです。皆さまの今回企画された、タイトルが「自分自身を内側から見つめてみよう」と題し参加者を募集したとのことです、正にこのことが仏教の原点です、難しく考え、漢文のお経を勉強しても学者には成れましょうが、釈尊の教えをわが物にはできません。

曹洞宗の開祖道元禅師さまのおさとしに、「佛道を習うと云うは、自己を習うなり。自己を習うというは、自己を忘るるなり。自己を忘るると云うは、万法に證せらるるなり。萬法に證せらるると云うは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。」とあります、まさにここが仏教の肝心要なところです。

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 今日の教材に、父母恩重経を経本を配布しています。このお経本をトイレにでも置き、最も頭の冷静な時にお読み下さい、自分も読み、子供 孫にも親しませて下さい。私たち年の取った者は、人生の価値ある経験者です、如何様な困難試練にも打ち勝ち、今まで生きてきました。下駄スケート、竹スキーで遊び、田圃からタニシを拾い集め食材にした時代、線路端を歩きアカ(銅線)を拾い5円10円に換えた時代、膝下3寸の着物を着、下駄ばきで遊んだ時代、学校から帰れば水カメに天秤棒でバケツを担ぎ、水を運ぶのが子供の仕事、稲こぎの時期は、夕ご飯の後親父と共に足踏み脱穀機で、鼻下を真っ黒くして11頃まで手伝いした時代を生きてきた私たちです。艱難辛苦、苦心惨憺、刻苦勉励、粉骨砕身をものともしないで生きてきました。いまの時代、世の中があんまり便利になりすぎ、物が有り余り、なに不自由なく生きていける今の時代は奇跡中の奇跡です、この様な時代が永遠に続くはずがありません。先人の苦労を忘れ、今が良ければ良いと安住した「そこ」が落とし穴です。

 私たちの経験は貴重です、年寄りと卑下すること有りません。この貴重な経験を子供 孫に伝承しましょう。

 子供の成長には祖父祖母の貢献が甚大です。今の子育ては学識、本、報道、便利、恰好が優先され、日本人本来の智慧が無視されています。そのため気骨のない忍耐不足、向上心がなく、軟弱な気性が大半をしめる気質になったと思いませんか。 これまでの核家族化は見直しされる時代に入ります。貧乏な時代を知る私たちが最後の砦です。

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 坐禅は自他不二の世界を手にする世界、和の基です。意識言葉を使う世界は自我の世界、自我滅却の世界がお釈迦様の世界です。家族の和、老若和合、自律、自立、安心の世界を手にするには仏教の実践が第一です。

 年をとり死が近い私たちは、「死の恐怖」に苛まれます、この恐怖からの離脱は仏教の実践、坐禅の実行が第一です、坐禅の世界は、「心無罣礙・無有恐怖」の世界、それをこの手にする最良最高の道程です。

和尚のひとこと