今から2年程前、東日本大震災で太平洋に面する、青森県、岩手県、宮城県、そして福島県が、日本史上、最も甚大な津波被害に襲われました。
興雲寺は、参禅者共々、ガソリン不足の只中、救援物資と共に、ガソリン199ℓと手こぎポンプ、食材を搬入し、炊き出しを実施し、幾度となく現地を往復いたしました。
この活動の中に、暁天坐禅に毎日通う工学博士の山本道好さんがおりました。
彼とは、末﨑海岸の被災地と塩釜市の体育館に同行しました。
曹洞宗岩手県宗務所から次の救援物資の搬入は、真﨑海岸の避難所との指示を受けていましたので、久慈を経由し真﨑海岸に到着いたしました、しかし、避難所が有りません、再度、念を入れて確認したところ、陸前高田の末﨑海岸であったとのことで、お陰で180キロ離れた次の目的地へ、被災地の真っ只中を南下する好運に恵まれました。その道中の光景たるや、上下、高低、一切がない世界です、上からプレスされたかの様な、人智の及ばない背景でした。津浪が到来して2週間過ぎているのに、地上には犬猫一匹いない、空には、カラスすらいない、不気味な背景、光景です、まさに、海抜20M以下の街が、一切壊滅した状態を目にしました。
この様な中、山本道好さんの発想が変わりました、自然の猛威に勝とうという思孝から、自然の力を流し、吸収する思考に転換した模様です。
この時の、ヒラメキを特許申請し、25年7月6日、暁天坐の後、特許が下りたと報告を頂きました、「此れも坐禅のお陰です」とのことです。
大災害に際し、受難された方々を血脈供養するという習わしがあります。
福島県以外、24か所の被災地を訪問しご供養いたしました。
真崎海岸での写真です。人命犠牲のなまなましさがこの写真です。
津浪警報を発令しながら巡回途中に、津浪に巻き込まれ、
一切を・・・訪問した次の日、東大の教授先生が津浪の遡上を測定し、37,99Mと報道されました。
人間の作った物(有為の産物)は、自然無為の働きに勝ち得ない、
と自覚させられた南下300キロの道中でした。科学が進歩しても、
人間の増長と傲慢を自律した研究が優先されなくてはならない、
と悟った記念すべき被災者支援の奉仕活動でした。
「坐禅の賜物を形にした」との報告です。
山本道好さんは平成26年4月8日に得度式を上げ、今
大本山総持寺祖院に修行に出ました。今は禁足中です。