ひとこと

洞谷記(瑩山禅師のお示し)

洞谷記(瑩山禅師のお示し)       H29・11・30   認可参禅道場 興雲寺  参禅資料
 曹洞宗は、道元禅師様を高祖さまとし、瑩山禅師を太祖さまとして朝課で報恩諷経を致します。
道元さまのお示しは、正法眼蔵はじめ永平広録、永平清規等、膨大な記述があり、宗教書の中でも多くの方々の羨望の的になっているものと思われます。
しかし、宗門を今日まで存続し得た、最大の原動力を残した瑩山さまのお示しは、衆目を集める点ではその足元にも及びません。昨今ようやく注目されはじめ、諸老師の提唱も多少耳にするようになりました。
しかし、坐禅を根底においた提唱ではない為「耳の毒」程度の話で終わっています。
祖録の参究は、学識の為に非らず、知識博学の為に非らず、坐禅弁道の原動力、弁道指針の為に祖師さまが残したムチであり、箴の為であり、来際の後鑑となっているかを見返す遺誡の書であります。
その為 祖録を手にすれば、坐禅せずには居られない境涯に至るが必定です。俗事に流されず、時間を無駄にせず、毎日毎日、365日坐禅を主眼に生活するに至ります。
坐禅せずにはいられない境涯まで引導できない提唱は、学問が先行、知識が先行の「耳の毒」程度の範疇ではないでしょうか?
洞谷記は、瑩山さまが洞谷山永光寺創建の記録と後鑑への遺誡を記録した祖録です。
その内容を抜粋すれば、
〇 洞谷山永光寺の草創の因縁と道程
〇 阿頼耶識を遊化三昧した「夢を感じて曰く」のお示しです。
  ・夢に感じて曰く羅漢第八の尊者、来りて告げ示すこと在り・・・」
  ・予、夢みらく、当国の守護神来りて曰く、一国に告報して菜一種を供加せんと・・・」
  ・「予は昔、毘婆尸佛の時より、羅漢果を證す。須弥山の北の雪山に止住す。鳩婆羅樹神なり。・・」
〇 坐禅弁道のお示しです。その骨子を選別すれば以下のようになります。
  ・空門終に高低を分たず、是非を把り来って我を辨ずること勿れ。浮生の穿鑿相干らず。
  ・茅屋を結んで、方来を接待するに、茶湯には松葉を点じ、器物には栢葉を用ゆ
  ・衆縦ひ多寡あるも、食は日料に當つ。飯と做して得べき者には飯と做し、飯と做して足らざれば
   粥と做す。粥と做して足らざれば米湯と做す。
  ・日本の元子来たり参ず。脇 席に至らざること両歳に及ぶ
  ・苦学股を刺し、昼夜痩せることを忘る
  ・算じ来れば已に四十一年、一夜の障難無く、連年の間、打坐し来る。志気、古今を超越す。
  ・衲 被蒙頭にして打坐す。被、覚えず脱落す。因みに省悟す。
  ・識得すれば人々階梯に立たず
  ・発心して僧となるの事
〇 教えの核心たる金句
  ・吾れ平常、人の為にする外、更に覆蔵する底の法無し。佛祖の冥覧には私無し
  ・我、汝が為に地獄に入ること箭の如し
  ・未だ口を問わざる前に向かって会すべし
  ・道は、知、不知に属せず
  ・佛に代って化を揚ぐ、是れを住持と云う。これ則ち佛祖位なり。
以上の外にも弁道を後押しする金句が全文に渡ってお示ししてあります。
このことは階梯を離れ、弁道者、実践者として聴衆者の肚の底に訴えれば、おのづから「坐禅せずにはおれない人格」を作るもので、「無私が坐禅に帰着する」ことを体感し、生活が坐禅、坐禅が生活になるのではないでしょうか。般若心経の「色即是空、空即是色」の「即是」が坐禅の実践に帰着する一点を体得しましょう。皆さん苦から離脱する最良の法門たる坐禅を実践しましょう。

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