ひとこと

衲 被 蒙頭にして打坐す、被、覚えず脱落す。因みに省悟す。

 この言葉は、曹洞宗の太祖瑩山禅師の記述された洞谷記の中にあります。達磨大師 ダルマさんの赤い外套みたいな物(寝具の一つで寝袋、防寒具・暁天坐禅、夜坐の寒い時などに頂いて坐禅)を「被」と言います。嘆かわしいながら、坐禅が忘れられた、今日 宗門ではほとんど目にしない物になりました。
祖録を講釈している学者先生方も目にした事がないためか、恥ずべき事ながら、専門書の語釈に「僧衣」などと訳しているのが現状です(瑩山禅第八卷 洞谷記講釈P197)。
道元禅師がお示しした、「弁道法」の中に、「被位に在りて、被を将って身に着け、蒲団に礙えて坐禅す」、「被位に帰り来たらば、被を将って体を蓋うて、如法に坐禅す」、「被を摺む法は、開大静を聞くに因りて、両手をもって被の両角を執りて把り合せ、縦に折りて両重と作し、次にまた縦に折りて四重を作し、次に内に向けて横に折りて四重と作す。都て計うるに十六重なり。以って眠単の奥頭に安く・・・・」、などの記述があります。
 坐禅堂の各単(たたみ一畳のスペース)を被位と云います、修行時代単の上に、修行者の名前を表示されました。「被位」があり、「被」が記録されながらその真意(形)が忘れ去られ、坐禅が廃れた今日の現状は、佛祖の悲しむべき一大事の悪弊ではないでしょうか? 
被を頂いた達磨大師の立像
  興雲寺では坐禅堂開単以来、暁天坐禅の寒い時は「被」を頂き坐禅をいたします。
  厚手の生地でオーバーコートの生地で製作しています。宗門の中では、師家養成所として開設された大月市の瑞嶽院で用意されていました。わたしが金沢大乗寺時代共に修行し坐禅を頑張った渡辺観道和尚が留守居役で入った折、紹介されて手にしたものです。
 「被」を頂いての坐禅は、自分の体温が逃げることなく被が保温を保ち、寒を意識することがありません。50回程度に一度程度か? 頭から頂いた、被が肩もとに滑り落ちたことがありました。
被の中の気温と坐禅堂の気温の落差に身振るいした経験があります。この時、意識を離れた身感覚が吹き上がり意識以外の感覚に「いのちの躍動」を実感しました。
 「衲 被 蒙頭にして打坐す、被、覚えず脱落す。因みに省悟す」は、正に上記の様な状態の時でしょう、身識の感覚が末那識を超越し、無私が現成し「悟の入り口」立ち至ったものと存じます。
 「寒を修するに被あり、惛沈睡を打するに禅板、禅鎮あり」と参禅者に申しますが、坐禅が好きの内は、まだまだです、坐禅に好かれ、坐禅がこの身心一切を包み、覆う尽くした時、初めて坐禅の偉大さを体感します、この体感を毎日毎日持続し20年、30年、40年と「維持し尽した生活」が「悟に至る」をものにするのではないでしょうか。
意識が有る内は、一切末那識の範疇、仏教知識を色々勉強しても言語意識の内、自我意識の只中であり、お釈迦様、道元さま、瑩山さまの遊化三昧した佛界を垣間見ることはできないものと存じます。
お寺の維持管理に、葬式が大変、法事が大変と、檀務に汲々として、本来の仏事(安心帰命)を忘れ、俗事に翻弄され尽くし、お寺に人が来ない、若い人が全然来ないと嘆きながらも、朝の朝課もせず、坐禅は二の次、三の次、四五の次と、坐禅から遠をのき、大柄さを真っ先にしているのではないでしょうか?

 佛教の根源は坐禅に始まり、坐禅に帰着致します。世界の中に色々宗教がありますが、自我滅却は坐禅以外にない行です、坐禅以外にはありません。自我意識の内は、何をやっても自我が先行し、無私が根本の佛教の関門には入れません、「諸縁放捨、万事休息」は無私(坐禅)への登竜門、安心帰着の玄関、佛弟子の根本ではないでしょうか。皆さん坐禅を日課に毎日坐禅をしましょう。

和尚のひとこと