ひとこと

無差別テロ自爆戦術 

 テレビ、新聞が心を痛める報道で蔓延しています。思い起こせば、2001年9月11日、世界を先導するアメリカ合衆国で同時多発テロが発生しました。この事件から10日して、フランスに出発しました。ドゴール空港に着き、宿泊ホテルまでの道中、警戒の物々しさは東京成田以上の事態でした。街々の金属性のごみ箱は一切撤収されビニール袋に変化しています、理由を聞きましたら、「密封された容器は爆薬の威力を倍増させるから万が一に備えてのこと」との事です。シベリア経由の飛行機の機内で考えました。「飛行機に乗って自爆する」とは、正に大東亜戦争中の神風特攻隊の発想です。これに、ドイツがイギリスを空襲した時、無差別な攻撃目標を設定し、空爆した戦略が加味され、更にアメリカが日本全国いたる処の都市、大都市、中都市、小都市を無差別に焼夷弾で空襲し焼き尽くし、果てには、戦争維持困難(不発の焼夷弾でスコップを作る有様、また松の木の根から油、松根油を作って飛行機を飛ばす、日本刀を以って機関銃に向かう決死隊の特攻、市民を巻き添えにし、「にっちもさっちもいかなくなったら自決しろ」と手榴弾を渡す、等々=政府の早期決断の遅さ)な状態にあった日本の広島長崎に原爆投下と進化しました、正に無差別攻撃の究極、人類最悪の戦略が実行されたのです。日本の神風特攻隊と原爆を含んだ無差別攻撃が合体したのがアメ
リカ同時多発テロの戦術であり、それ以降の無差別テロの戦術になっています。 フランス核燃料公社コジィマ(現・アレバ)の役員関係との食事会で、招待された日本人の代表として「今回発生したアメリカ同時多発テロの戦術の発端は、日本の神風特攻隊の発想に起因します、世界に向かって、日本人として深くお詫いたします」と、涙を出しながらお詫びした次第でした。 本来、戦争とは国と国の戦いであるべきものが、乱れた国の中から武器を持ったグループが、国を相手に戦を仕掛ける事態に発生し、市民を巻き添えにした自爆
テロ(カヨワイ方々が犠牲になる悲しい、哀れさ、嘆きさ、痛ましさ)が彼らの戦術になっています。宗教が宗教を批判し、挙げ句の果てが殺し合いです。
 国を失い、安住の地を求めて何千キロも徒歩で、宿無し逃避行する難民が世界の情勢を急変させています。
アフガニスタン、シリアから海を渡り、山を越え決死の逃避行です。行き先は夢ある、ドイツ、イギリス、フランス・・・と。
日本人は、汚いものから遠ざかり、他人任せで、落とし穴を前に真の状況から目をそらし、携帯電話を片手に、食材の賞味期限が切れたとか、無農薬野菜だとか、この食材が健康に良い、「仕事が終わったらパチンコだ」と、うそぶき4時ごろから仕事に精が出ない、24時間営業が便利と夜になっても寝ない、
など自由気ままに頭を狂わせ、熱狂している大方の日本人は、これで良いのでしょうか?・・・
他人の苦労は自己の苦労です。世界の困難は自己の困難です、「同事というは不違なり」です。
 お釈迦様の教えは、自他一如に始まり、自他一如に帰します、混迷した時代に仏教が見直され、坐禅が求められ、ブームになる所以はここにあります。
 聖徳太子(593年摂政)が17条の憲法で「和」を基幹に据え、「佛法僧を敬う」ことを国体の本幹にしたのが1400年も前のことです。外国人が日本を誉めるのは、歴史に培われたこの国民性に触れるからです。
現在の裕福さは、おのおの各個人が築いたものでしょうか? 再度、親の苦労を思い出し、先祖の困難に思いを致し、日本の歴史を再度勉強し直し、日ごろの生き方を見返り「本来の自己」を確立しましょう。仏教はその導きを示しています。お釈迦様を信じ、平穏、何が遇っても動じない「無事な自己」を手にしましょう。生活しながら佛法の実践(理屈屁理屈なし)をするのが、「安楽の法門」を手にする最良の道です。

和尚のひとこと