ひとこと

板橋禅師93歳まで坐禅して 

 今般、米国アラスカ州の玄妙尼が来日し共に挨拶に参じました。名古屋で「板橋禅師香墨帖」の出版記念式典に出席し(板橋禅師体調不良で欠席・電話したら大事なし)その後の訪問です。

式典には、愛知尼僧堂の青山俊董老師が祝辞のため来典くださいました。老師は昨年大病(心筋梗塞と脳梗塞)を発症なされ回復したとのことながら侍者に介添えされながら杖をついての来場です。85歳ながら大病を克服され矍鑠たるお姿とお声に会場全員感激してお言葉を拝聴した次第です。当方挨拶「安居中はご指導頂きありがとうございました、玄妙はアラスカで北米国際布教師で頑張っています、老師のお蔭です」と

 滋賀の青龍寺により、外孫の笑顔を頂き、23日に御誕生寺を訪問し拝問の時間を頂きました。

2時間強の懇談でしたが玄妙に取っても、道興、紀禅、私に取っても有難い時間を過ごし記念になった処です。

玄妙尼がアラスカから持参したお土産をお渡ししたら満面の笑顔を浮かべ、英語の単語を思い出しながらジョークを交えながら英会話で対応なさいました。玄妙のアラスカでの活動報告をアイパットで説明しますと、機械を反対側にし「これどうなっているの?」と何回も機械の進歩に不思議がられます。      お会いして後半     

「93まで坐禅をして来たが・・・、この歳まで生きると・・・おもしろいものダ、何事も嘆かないことダ、これまで生きて、ただ有難い有難い・・・お釈迦さんに会ったら・・・あなたがお釈迦さんですか、この年になったら「仏教も鉄砲も何もありません・・・一切なくなった」 

道元さまに会ったら、「あなたが道元さんですか、あなたも若い時分は難しいことをよくあんなに書いたものだ、この歳まで生きれば、わしの気持ちがわかります・・・若い時に書いたものを燃やしたでしょう・・・」

「いまは一切何もなくなった・・・仏教もいらない」

「仏教もいらない、お釈迦様の本当の言葉はない・・何百年後経典が作られ・・如是我聞・・と、今生きている實感・・・何んの非理屈がある」、頭を叩いて・・・「あゝ 痛てて・・この實感にいきている。草木も生きている、曲がれば曲がったなりに生きている。犬猫は實感で生きている、しかし・・・識がない、成長がない・・・ 人間は、識がある故に成長があり文化がある、しかし文化文明を築きながら、こじれこじれて自殺までするようになった。いま いきている、この今この実感、これを「いのち」とも云い、また「ほとけ」ともいう」

「いま思い出した・・小学校のころ、ひとりで「こころを落ち着けることが好きだった」「今は人に坐禅しろとも言わない、坐禅という言葉も使わない、丹田呼吸が大事、寝ていては体が楽だが寝息では頭からセレトニンがでない、背骨を気にして正しい姿勢をとると、足が痛くても(この歳になると)横隔膜が上下して、セレトニンに浸され、「こころ」がさわやかになる。中国韓国は知らないが、日本には残った、柔道にしても剣道華道茶道・・「道」のつくものにその「こころ」が宿った。しかし今の各々のスポーツを見ていて、「道」ではなく「術」になったのは寂しい限るダ。又、しかし今の僧侶を育てる機関にしても、職業訓練が先になり、坐禅の実践からは程 遠いのではないか?」「坐にしたしむ人になることです」「坐禅を広めることです」。

「・・・わかるナ・・・」と、昔の鋭い目線で直視なされ、「ハイ・・」の返事しかできませんでした。遺誡に近いおさとしに有難さに感激した2時間半の貴重な師弟関係でした。

和尚のひとこと