本師板橋興宗禅師

本師板橋興宗禅師(禅をきく会にて)

本師板橋興宗禅師
(禅をきく会にて)

三沢市講演会にて

三沢市講演会にて

 禅師様は、金沢市大乗寺から大本山総持寺に上がり貫首様を勤められると共に、曹洞宗管長を務め、天皇陛下から閑月即真禅師号を賜った方です。

私が大乗寺で修行した時の堂頭老師(住職)で、一から百まで一切を指導してくれたお方です、また長男宗晃の授業師さまです。

 曹洞宗の僧侶は、三人の師匠様を持つことになっており、頭を剃って仏さんの弟子にしてくれた師匠様(授業師)、修行を終え「法戦式」という戦の場を与えてくれた師匠様(法幢師)、お釈迦様から代々伝わった仏法を授けてもらう師匠様(本師)の大恩ある三人の師匠様です。興雲寺の開山は、大閑勝春の私です、私の本師様が板橋興宗禅師様です、そのため、開闢開山様として勧請いたしています。しかし、この様なことは、なかなか珍しいことで、有難い仏縁法縁と申せます。禅師様は、平成14年10月、「死ぬまで出きる」大本山総持寺貫首の職を辞し、我が宗門の四代様、太祖常済大師瑩山紹瑾大和尚様がお生まれになった福井県武生市に御誕生寺を建立され、お慕いする良寛さまを念頭に日々行じています。公衆トイレの清掃もその一コマです。お寺にも、一般に言われる本家分家の関係があり、興雲寺は御誕生寺を本家に相当する御本寺様にしています。この関係は、興雲寺が続く限り末代まで続きます。

板橋興宗禅師 略年譜

1927年(昭和2年) 5月20日 宮城県多賀城市下馬にて出生。
父 板橋勘太郎 母 きよ
1944年(昭和19年) 18歳 旧海軍兵学校(76期生)に合格
1945年(昭和20年) 19歳 敗残兵のように帰郷。「助膜炎」と診断され翌日入院。この入院中に父急死(43歳 脳卒中)父の葬儀にも出席できなかった。
1949年(昭和24年) 23歳 東北大学入学 仙台輪王寺に住み込み、大学に通う。「仙台の大学に入ったのは、同級生仲間から4年も遅れていました。その当時の私は屈辱感と劣等感に苦しみ、ノイローゼ気味の生活でした」
1953年(昭和28年) 27歳 3月、東北大学法学部、宗教科学卒業。 4月、大本山總持寺渡辺玄宗禅師のもとで、出家得度。
1963年(昭和38年) 37歳 福井県武生市・瑞洞院住職
1981年(昭和56年) 55歳 石川県金沢市・大乗寺住職
1998年(平成10年) 72歳 神奈川県横浜市の大本山・總持寺貫首、曹洞宗管長に就任。
2002年(平成14年) 76歳 貫首・管長の公職を辞し、現在福井県越前市の御誕生寺住職。
2009年(平成21年) 83歳 百歳現役を目指して日々精進