弘前坐禅会の参禅者が家出しました。ご家族様も心配し当山に来ていないかとの連絡があり、山内一丸となって方々を探し回りました。家出し三日目に電話があり、「今どこダ、どこに向かっている」と聞き出しました所、「いま秋田市に入ったところです、徒歩で無賃で御誕生寺に向かっている」とのこと、御誕生寺と連絡を取っているのかと確認したところ、連絡していないとのこと、行き当たりバッタリの行動のようですが今回で二回目の行動です。奥様に連絡したところ、本人の希望通りにしてやって下さいとのことで早速禅師様に手紙を出し、本人の経歴、家族構成、奥様の連絡先等を紹介し、御誕生寺に入ったら、それ相応の対処をお願いしました。
禅師も、「道を求めて850キロを徒歩で尋ねるバカは前代未聞と感激し、奥様に連絡をとり、汽車賃はおれが出すから、そこから(新潟三条近辺)電車で来なさい」と厳命し、御誕生寺入りをしたのです。家を出て16日間、夏の炎天下の中およそ420キロを徒歩で、新潟から電車での道中でした。宿は、心有る民家にお願いし、お寺に事情を説明し一宿を乞い、野宿したのも3日でした、腕の皮膚は日焼けし、二重三重の日焼けでタダレも生じる状態でした。御誕生寺に到着したのが真夜中、お堂の軒下で夜明かしし、やっとの思いで禅師様にお会い出来ました。その後、数泊し、一旦弘前に帰り、家族の了解を得、9月に参禅者として山に入り坐禅弁道しています。
十月下旬板橋禅師は一旦帰宅し興雲寺の方丈に相談しなさいと、仏縁を気にして返してよこしましたが、本人の意向を考慮し、また禅師にとっても「92歳になって弟子を持つ苦労は闘病の薬になるもの」と熟慮し、堂長老師の下での得度を了解したところです。12月には、御誕生寺の徒弟(僧名・雲上直樹上座)として得度する予定になっております。この一途な思いを貫徹しお釈迦様世界を手にすることを切に願います。
先月静岡の藤枝の盤脚院様 山田老師が95歳を記念し、十和田湖の奥入瀬渓流を散策したいと当山を拝登し、半地下の坐禅堂にも焼香を頂きました、大変有難いことでした。私ども日頃腰が痛い、風邪気味ダなどと、泣き言を言って楽な方に逃げるクセがついていますが、山田老師を見てこれから泣き言無しで行きたいものと深く感じました。わが本師板橋禅師にも山田老師の健在ぶりを紹介し、気持ちの振るい起しを願い法身堅固法臘延長を願った次第です。
閑月会での状況は、足腰が多少弱ったものの参加者の面々に気さくに挨拶され、乾杯の梅酒を二杯も再進なされ顔を真っ赤にし、参加者と旧交を温め合いました。
挨拶中のお姿 ほとんどの食材を食べた禅師様の食卓 軍歌に合わせて行進
「この歳に成ったら死に対する恐怖もほとんど無くなった。来年は、もしかしたら一周忌に成るかもしれないが皆で又会いましょう、今日の食事代は私が持つから、おれが持つ・・・」と云いながら、三年ぶりの軍歌(閑月会の事務局が体調を気にして中止中)に弱った足腰に活を入れ強がりを披露した処です、「来年も陽気に会いましょう」と再三の雄たけびでした。