ひとこと

境内の木 御佛供杉の木

御仏供杉の木
 修行時代、金沢大乗寺の堂長老師の下で最も信頼されていた方に、狩野悟さんが居られました。師匠が大乗寺から鶴見の大本山総持寺に晋山なさいます時も身の回りのお世話役として参じ(最初は在家であることを理由にご辞退なさいましたが、師匠の再三再四の要望により同行)、本山での御苦労をお助け致しました。
 この御佛供杉は、狩野さんが種から自生したものを5本移植し管理なされ、一本は閑月庵様に、一本は御誕生寺に、一本は大乗寺の講師をなされた山形の土井国和老師の自防に、残り2本を当山に寄贈下さいました。
 最初は鉢植えの50センチ程度の二株でしたが、今日5メートルを超える大きさに成長しております。
 仏教の根幹たる坐禅が生きず様、守護し後押しくださる様祈願し移植した次第です。

●御供仏杉(おぶくすぎ)の説明板では、幹周/7. 6m、樹高/18.8m、樹齢/660余年です。
所在地 : 石川県白山市吉野春29
● 撮影日 : 2013/4/28
● 指定 : 国指定天然記念物 (S13年8月8日指定)
      新日本名木100選
● アクセス : アクセス:北陸鉄道・鶴来駅で下車し、北鉄バス「瀬女」行きに乗り「吉野工芸の里」で下車すぐ。 【車】北陸道・小松ICから県道8号・国道360号を東に20.9km、「下吉野」交差点から国道157号を南に200m、左折しすぐに吉野工芸の里の駐車場あり。

● 御仏供杉は「おぼけすぎ」とも「おぶくすぎ」とも呼ばれるようです。白山市吉野の山中に祇陀寺を開いた大智(だいち)禅師が元徳2年(1330年)に肥後国菊池氏の願いにより肥後国に帰るとき、山の寺から杖にしてこられた杉の小枝をさかさに地面に挿したのが、今の御仏供杉であるといわれています、
 仏飯を盛ったような形から「御仏供杉」という名がついていますが、別名「逆さ杉」とも呼ばれるのは、どの枝も一度下に垂れたように下り、また上を向いて伸びているので、これが「逆さ杉」という名の起こりであるとされます。
 御仏供スギの前は広い芝生の広場になっており、散策にはもってこいの環境です。杉の木の下にある木道を巡ると、その主幹の太さと、そこから四方に伸びる枝の状態が良く分かります。
 この御供仏杉は国の天然記念物だけでなく、「新日本名木100選」にも選ばれており、私にとって久しぶりの100選の巨樹訪問でした。
 南に700mほど行くと「吉野神社のケヤキ」があり、国道360号から大日川・堂川沿いに行くと「五十谷の大スギ」があります。

 

お仏供杉と大智禅師さま
 ご縁があって、金沢の大乗寺で修行させて頂き、沢山の更なる大恩を頂きました、この大智禅師様もそのお一人です。法系からお示し致しますと、
永平寺を開山された、     本邦初祖  永平道元大和尚
道元さまをお守りし尽くした、 二代様   孤雲懐奘大和尚
大乗寺を開山された、     三代様   徹通義介大和尚
総持寺を開山された、     四代様   瑩山紹瑾大和尚
   大乗寺3世          五代様   明峰素哲大和尚
このお次の方が、大智さまであります。宗門の中では、徹頭徹尾、瑩山さま、道元さまをお慕いされたお方であり、仏法の究極を地でいかれたお方であります。「没蹤跡」という言葉がありますが、「あたかも鳥の空を翔るが如く、魚の水中を行くが如し」、のごとく生き尽くしました。
臨終に際し己が足跡を一切焼却させ、泰然と涅槃に入ったとのことです。
今 宗門に残っているものは、それらから逃れ得た少量の品々です、特に「大智偈頌」は、禅定の極致から湧き上がる詩情豊かな詩文です、また 他人様に与えた文章、「仮名法語」及び「十二時法語」が残されています。
私の、発心の師匠、沢木興道老師も心酔されたお方です。
また、新寺建立しているお寺の「守り樹木」として、植栽を予定している鉢植えの杉は、大智禅師所縁の「お仏供杉」であります。
 下記に、お示し致しました、「大智禅師発願文」を、よくよく参究して見て下さい。発願とは、発心であり、誓願であり、行持の軌範尺度であります。
何回も、何回も毎読し、血肉にして下さい。                「和尚の一言」より

(大智禅師発願文)
願わくは、我れこの父母所生の身を以て三宝の願海に回向し、
一動一静、法式に違せず、今身より佛身に至るまで、その中間に於て、
生生世世出生入死、佛法を離れず、在在所所広く衆生を度して疲厭を生ぜず、
或は劒樹刀山の上、或は钁湯爐炭のうち、唯この正法眼蔵を以て重担と為して、
随所に主宰と成らん、伏して願わくは、三宝証明、佛祖護念。
(従容録)没蹤跡、断消息、白雲根無し清風何の色ぞ。

和尚のひとこと